レポート/福家由美子 初個展【放電する身体】

10月に個展を開催した「山田荘」メンバーの福家さんから、展覧会のレポートが届きました!
「くすのき荘」メンバー・即興演奏家の加藤君のコメントつきです。どうぞ!
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福家由美子 初個展【放電する身体】

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「起こっている事の全ては認識できない。」
「でも生まれた時から知っている事がある。」

とても眠い時や疲れている時、肉体の感覚がだんだんなくなっていくことがある。
社会で私が私として存在するために必要な認証コード(名前・性別など)は薄れていくのだ。
そして私は感覚的に「球体のように」なっている。

この球体の正体は?
(あいさつ文から抜粋)
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展示期間中は台風直撃の中、ご来場頂いた皆様、サポートしてくれた皆様、本当にありがとうございました。
会場は2会場ありましたが、大雨の中歩いて行ってくださって感謝しています。(ちょっと町内を散歩してほしいという気持ちがありました)
また初個展と言う事で、恩師とのアーティストトークができた事も大変よい経験となりました。
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展示のテーマは「自分ってなんだろう?」「人って何だろう?」という疑問の一つの回答としています。
展示タイトルの「放電する身体(からだ)」の「放電」とは、物体から発せられるエネルギーのようなものです。
これが体内のどこから発してどこへ向かっていくのか、内側ではどうなっているのかを考えながら作品を作りました。
人であれは誰でも持っています。そして植物でも、石でもきっと持っています。
このエネルギーを全存在の「一つの在り方」として私は考えています。

エネルギーを放電したり、帯電させたり、それを受け取ったり受け取らなかったりして私たちは生きているのです。
(文:福家由美子)

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「自分とは何か?」という疑問を真摯に考えることは決して意味がない訳ではないし、むしろ極論の一つとして「自分という存在などない」と言えるかもしれないし、世界の在り方を認識しようとする行為そのものを「自分」と指すことができるのかもしれないし、こんなことを書いたところで福家由美子による今回の展示について何も述べていないに等しい。
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肉体とは一種の受容体である、と仮定する。アンテナである。では受容される物は何か。それは情報だが、情報には感情や記憶といった「自分」を形成していそうな事柄も付随する。感情や記憶などを否定する訳ではないが一旦それらを除外して情報を純粋な情報そのものとして受容することはできないだろうか?

できなそう。そのことの不可能性を漠然と感じる。情報が受容体というフィルターを通って無事に認識される、つまり純粋だったはずの情報にノイズが乗ることで情報は「人間的な情報」になる。そう考えるとノイズこそが人間っぽさを形作る要素の一つなのかもしれない。けれども、こんなことを書いたところで福家由美子による今回の展示について何も述べていないに等しい。
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つまりノイズについて改めて考察する必要があるのかもしれない。「その他のもの」をノイズと定義すると、この領域には膨大な可能性が存在するし、フォーマットを開発することによって可能性の一部を道具として使用することができる。作品制作によって辿り着きたいと欲望される目的はノイズに塗れている。

こんなことを書いたところで福家由美子による今回の展示について何も述べていないに等しいのかな?
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(文:加藤裕士)

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